4月19日 (土) 私の中の「池上線」 今日の朝日新聞の土曜版のbeの「うたの旅人」に 『池上線』が取り上げられました。 これはスゴイことです。 このコーナーが始まって3番手に取り上げられるなんて…。 この曲を作ったのはは33年前。 私が野口五郎さんをイメージして作ったメロディーに、 当時プロの作詞家を目指していた佐藤氏が詞をつけたものでした。 体験を基にした詞とは聞いていたものの、 駅名やモデルの女性については知りませんでした。 正直なところ、知らなくていい、知らない方がいいと思っていました。 それには理由があります。 この歌が大ヒットしたと言われると私は首を傾げます。 長い時間をかけて売れたので、その実感が無いのです。 (オリコンでもベスト10には入っていません) それなのにどこへ行っても「池上線」と言われるようになり、 実のところ、私自身この歌を疎ましく思った時期もありました。 その呪縛を解いてくれたのがファンの方たちでした。 このことは10数年前に書いた「ヤクシ団欒物語」の中にも書きましたが、 ある時ファンの方たちと話をしているとき、 池上線の駅がどこかと聞かれたことがありました。 返答に困っていると、 「僕は○×だと思う…」とか 「いや、フルーツショップは×△にもあるよ」とか それぞれが思いの駅名を言い出したのです。 そのとき初めて気づいたのです。 「もうみんなそれぞれの中に自分の駅を持っているんだ…」と…。 この歌はもう一人で歩いている…と思いました。 「池上線」を聞いた人が、それぞれの思いと重ねて この歌を自分のものとして心の中で育てていると知ったとき、 私はとても救われたような気がしました。 それと同時に学んだのが 「歌は私の口から出た瞬間から聞き手のものになるんだ」 ということでした。 以来、同じ質問には 「あなたがイメージした駅だと思ってください」 と答えるようになりました。 それこそがその人の「池上線」の駅だと思ったからです。 新聞で明かされた真実。 それはそれとして一つの生きたドラマです。 でも今、私は「池上線」を楽しんで歌っています。 聞く人の脳裏で自由に走る幾多の池上線のドラマをイメージしながら…。 Photo-1 32年前の池上線のキャンペーンで。 Photo-2 去年12月の池上線の中でのライヴ。 それぞれが自分だけの池上線を抱えて 聴いているのだとあらためて実感しました。 Photo-3 『名曲・池上線号』の前でスタッフと記念撮影。 |